2011年10月21日
10:11 AM
フラットファイルにて

長野市、フラットファイルにて、この金、土、日と作品展やっていて、新しい絵を一点出してます、いろんな人の作品が1万円で買えるという企画です、観にいってみてくださいな。
明日は上田のつながるフリマ、というやつに行くよてい、、。あさっては松本にslumを観にいくよ、ベースの窄くんが抜けるらしい、僕の好きなslumが、無くなりませんように。
「じゅんくんは、歌を生き物として捉えとるんやね」先日の京都、島崎さんが言ってたんだけど、それについて考えてた。あんまりそういうイメージとは違うし、んー、どうかな、と思って。僕にとっては音楽は合奏だ、という割り合いが高くて、最近は一人でやってても、歌とギターと踊りとをセッションさせるっていうのやってるつもりだけど、ほら唐十郎の特権的肉体論じゃないけど、そのときの体の状態とか、心とか、歌とか、ぐわっとかき混ぜるのが、多分楽しい。じゃなくて、えっと、人とやるとき、セッションするときのイメージというのは、音どうしが、どんなふうに存在してるのか、というのにいつも心奪われてて、合奏を観るときもそうだけど、あ、この音がここに座っていて、あ、いま別の音がやってきて、声をかけて、あ、いま立ち上がった、とか。そういうのが好きで、誰かが泣いていて、寄り添うのか、見守るのか、励ますのか、一緒に泣くのか、そういったとき選択肢はたくさんあるんだけど、僕だったら君の歌にこんなふうに、、というようなのを演ってると、ゾクゾクして、たまらない気持ちになってくる。
これはある種のバンド感とはちょっと違くて、バンドの音というのは、おれたちいつもこんなふうだよな、という一種のあきらめに似たきらめきであって、それをぶっきらぼうに、安心しきった様子で、ぶっぱなしてくれるのは、やっぱり、幼なじみめいた、腐れ縁のようなものだったりする。最初から成り立つものであり、到達するものでなく、いつでもそこにある、すなわち、初めてのそれなんじゃないだろうか。
というわけで、僕はそれを観に日曜日はslumを、松本ALEX。
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